


サークルモッシュ…丸いスペースを作り中心に向かってぶつかりあう、激しめの盛り上がるバンドの客席で起こるヤツです。
Dragon Ashは毎度アルバムのクオリティが高く、アルバムがリリースされる度に必ず買う大好きなバンドであります。
長い活動期間でありながら今だビッグロックフェスでもひっぱりだこで、大トリを務めるなど、ミクスチャーロック界で20年以上、最前線を走り続けているモンスターバンドだと思います。
中でもバンドのボーカルであり、フロントマンのkj氏は日本ロック史にミクスチャーロックというジャンルを大々的に根付かせた革命的なバンドマンと思っています。
という訳で今回は、Dragon Ashの歴史、そしてkjという人間を語りつつ、今だ変化し続ける彼らのミクスチャーロックについて語りたいと思います!
あくまで個人的見解も含まれておりますので、ご理解してもらえると幸いです!
- kj(降谷建志)とは?
- Dragon Ashデビュー。パンク・ハードコアサウンドが強いデビューから1stフルアルバム「Mustang!」
- ラップ要素を取り入れた名曲「陽はまたのぼりくりかえす」、2ndアルバム「Buzz Songs」で飛躍的に知名度を上げる
- ヒップホップ要素を強く取り入れた「Let Yourself Go,Let Myself Go」〜「Grateful Days」期
- ロック史に残る名盤、3rdアルバム「Viva La Revolution」をリリース。ブレイク故のkjの葛藤。
- Steady&Co.(ステディアンドコー)での活動とプロデュース業
- 4thアルバム「Lily Of Da Valley」
- zeebra氏のDis。ヒップホップから離れ新たな音楽性の模索
- 苦悩の末生まれたアルバム「Harvest」。様々なジャンルを取り込み新境地へ。
- 大きく舵を切りラテンを取り入れ新境地へ
- 原点回帰した上での新しいミクスチャーロックアルバム「MIXTURE」
- 馬場育三氏の死去
- 苦難を乗り越えエモーショナルな傑作アルバム「THE FACES」リリース。
- 降谷建志名義でのソロ活動を開始。
- 大胆にシンセサイザーを取り入れたミクスチャーロックが光る11thアルバム「MAJESTIC」
- サポートベーシストKenKen氏の逮捕、ダンサーの脱退。Dragon Ashは新しいステージへ
- 終わりに
kj(降谷建志)とは?
引用:Dragon Ash Official Website
kj(降谷建志)
CD総売上1500万枚を超えるミクスチャーロックバンドDragon Ashのボーカルであり、作詞、作曲も担当している。
引用:rockinon.com
当時ミクスチャーロックはTHE MAD CAPSULE MARKETSや山嵐など活躍するバンドはいたが、大々的にメジャーシーンにラップを取り入れたミクスチャーロックサウンドを定着させた人物と言える。
Dragon Ashだけにとどまらず、ソロ活動や音楽プロデュース業。他アーティストに楽曲提供やコラボレーションなど幅広い活動を行っている。多くはないが俳優業も行なっている。
ストイックにスタジオにこもり音楽製作活動に打ち込むタイプであり、ソロ活動の音源では全楽器を自分一人で担当し曲を作るなど、幅広い音楽的知識、才能を持っている。
小学校の頃にザブルーハーツの「情熱の薔薇」を聴き初めてロックに衝撃を覚える。
その後、ビースティ・ボーイズをきっかけに、ミクスチャーロックへの感心を深める。
父は俳優の古谷一行氏で有名だが、七光りを嫌い、「Viva La Revolution」で自力でブレイクするまでは公表していなかった。
嫁はタレントのMEGUMI氏。
Dragon Ashデビュー。パンク・ハードコアサウンドが強いデビューから1stフルアルバム「Mustang!」
ドラゴンアッシュは結成当初、降谷建志氏(kj)と、同級生のドラム桜井誠氏、二人とは一回り年が違うベースの馬場育三氏がオーディションで選ばれの3人体制で結成。
1997年2月、ミニ・アルバムThe Day Dragged Onでデビュー。
この時まだkj氏はまだ18歳という年齢なので驚きです。
Dragon Ash「天使ノロック」
その後、2ndミニ・アルバムPublic Gardenをリリースし、1stフルアルバムMustang!をリリースする。
この時の音楽性は今のDragon Ashとはだいぶ違っていて、いわゆるミクスチャーというよりは、ストレートなパンク、ハードコア系の歌モノのギターロックという印象。
kj氏が尊敬するTHE BLUE HEARTSやTHE MAD CAPSULE MARKETSの影響を強く感じ、曲としても苛立ちや、攻撃性も感じ若く青い初期衝動を感じる時期でもあります。
そして1stフルアルバムMustang!の「Fever」という楽曲はラップロックサウンドであり、後のDragon Ashのミクスチャーサウンドの原型になった曲とも言えるのではないでしょうか。
しかしなかなか本人達の望むようなセールス、知名度は得られない苦悩する時期でもあった。
ラップ要素を取り入れた名曲「陽はまたのぼりくりかえす」、2ndアルバム「Buzz Songs」で飛躍的に知名度を上げる
「これが駄目なら辞める」という意気込みで作ったという渾身の名曲
「陽はまたのぼりくりかえす」
をリリースしヒット。
Dragon Ash「陽はまたのぼりくりかえす」
今までの路線から一変し、DJサウンドを取り入れ、美しいバンドサウンドと優しく繊細なリリックで歌う賛美歌のようなラップロックは当時としては前衛的で、ロックファンを中心に一気に知名度を上げた。
今も愛され続けている名曲であり、この曲を生み出したkj氏は当時19歳というのだから恐ろしい。。
その後
2ndアルバム「Buzz Songs」をリリース。
オリコン初登場5位を記録し一気に全国的に知名度と人気を得る。
ギターロックでありつつファンク、ジャズ、といった要素も強く取り入れ、kj氏の繊細な歌声など一枚通して思えるのは非常にオシャレな傑作アルバムだなぁと思います。
演奏全ていいんですが、馬場育三氏のベースラインがとても気持ちよく前に出ていて気持ちいい。
今だに良く聴きますし、個人的にこの頃のサウンドが好みだったりして凄く好きなアルバムです。
曲の歌詞にもあり、後にkj名義でコラボもしますが、AIRの車谷浩司氏の影響もどことなく感じる時期でもあります。
ヒップホップ要素を強く取り入れた「Let Yourself Go,Let Myself Go」〜「Grateful Days」期
Dragon Ash「Let yourself go, Let myself go」
マキシシングルLet Yourself Go,Let Myself Goをリリース。
この曲は当時かなり衝撃を受けました。
バンドサウンドでもあるんだけど、ヒップホップの要素も強く取り入れ、かなりその時の日本の音楽シーンでも異質で前衛的な曲だった。
そしてこの曲がチャートの上位に入り、大衆に受け入れられ始めるというのはDragon Ashが音楽シーンに革命を起こす始まりだったように思う。
同年5月に、Grateful DaysとI Love Hip Hopの2枚マキシシングルを同時リリース。
Grateful DaysではAcoとZeebraをフィーチャリングした作品。
Smashing Pumpkinsをサンプリングしたあたりは、やはりロックキッズのkj氏のセンスと思える。
自分を支える人間に綴った感謝のリリック、リフレインする心地良いバックトラックは多くの人に受け入れられチャート1位の大ヒットとなり、全国的に大ブレイクとなる。
おそらくDragon Ashの中でもトップレベルの有名曲だと思うが、色々あり今は封印されている曲でもある。
耳心地良く慈悲深いkj氏の繊細なラップと、
Zeebra氏の「俺は東京生まれHIPHOP育ち」は今だラップ史上一番有名なパンチラインだと思う。
aco氏の包み込むような歌声も素晴らしい。
名曲であるのは変わりはない。
また同時リリースしたマキシシングルI Love Hip Hopもならんでチャート2位を記録。
Dragon Ash「I LOVE HIP HOP」
こちらはジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock 'n' Roll」を大胆にパロったぶっとんだパーティーチューン。
版元も初めは普通に許可したのだが、予想以上の売れ行きにDragon Ashに印税を請求するといった逸話があったりする(笑)
また、kj氏が尊敬してやまない元ブルーハーツの甲本ヒロト氏とkj氏が対談した事があるのだが
「邦楽はほとんど買った事はないけどこのCDは買った」
的な事をヒロト氏が言っていてびっくりしたのを覚えている。
www.ootsususunu.work
ロック史に残る名盤、3rdアルバム「Viva La Revolution」をリリース。ブレイク故のkjの葛藤。
そんな大ヒットをシングル曲を含めた(I Love Hip Hopは改変してるけど)最強アルバム
「Viva La Revolution」をリリースする。
売り上げ180万枚以上を記録し、セールス的にも音楽的にもミクスチャーロックを日本中に知らしめ、音楽カルチャーをも変え、文字通り革命を起こした名盤である。
この時まだkj氏は20才。若。。!!
このアルバムの特徴はクラブミュージック的なラップソングとこれまでやってきたパンクやハードコア曲と2つに別れており、かといってアルバムとしてしっかりまとまっている、そしてどの曲も一切ハズレなしの名盤です。
これまで同級生でサポートメンバーであったBOTS氏が正式加入してからの初フルアルバムというのも大きかったと思います。
今は珍しくはないけど、バンド+DJというスタイルは画期的だった。
アルバムの中でも表題曲の
「Viva La Revolution」
は現在でもライブで披露され、みんなが一つになるようなファンの間ではかなり人気の名曲です。
Dragon Ash「Viva la revolution (Live) -1999.10.17 YOKOHAMA ARENA-」
個人的にこの曲の歌詞が素晴らしく、自分も人生において何度も励まされ、今も頭から最後まで歌詞を覚えてるほど好きな曲です。
kj氏がシーンの前線で戦ってきたからこそ書ける説得力のある叙情的なリリック、そして立ち止まりそうになった時、優しく背中を押してくれる曲。
青春時代にこの曲と出会えて良かった。
そしてまだ定着していたとは言いづらいミクスチャーロックというジャンルで、革命的に音楽シーンを変えた時期なだけに少なからずDragon Ashに対する批判的な声は少なくもなかった。
(まあこれは新しい事で成功した人の宿命だと思いますが)
その当時kj氏は、
「ロックじゃないとか、ヒップホップじゃないとかいうのなら、また新しいものを作ればいいんじゃない?って言うことですよね」
と語っている。
それはまだ浸透してなかったミクスチャーロックという日本独自のジャンルについて、また大きく言えばDragon Ashという新しい音楽として聴いて欲しいという意味だったのかな、と思ったりもします。
Steady&Co.(ステディアンドコー)での活動とプロデュース業
その後kj氏は、Dragon Ash以外での活動も精力的にこなす。
BOTS氏、リップスライムのILMARI氏、スケボーキングのSHIGEO氏で
ヒップホップグループSteady&Co.
を結成。
アルバムは「CHAMBERS」一枚で終わってしまったが、どの音源もオリコンチャート上位に入る人気を見せた。
また、kj氏は数多くプロデュース業もこなしているが、中でも
R&BユニットのSugar Soul
「Garden」
は90万枚以上の売り上げを記録し、多彩な音楽家としての才能を発揮。今もカバーなどされる名曲です。
4thアルバム「Lily Of Da Valley」
4thアルバム「Lily Of Da Valley」、この時期のDragon Ashの勢いはホントに凄かったと思う。
それはこのアルバムの音楽的にも非常に現れており、とにかくノリにノッたご機嫌なデジタルロック色の強いキャッチーなアッパーチューンが揃っている。
爆音ギターとラッパ我リアとのラップが鳴り響く衝撃作「Deep Impact」。
Dragon Ash「Deep Impact feat. Rappagariya」
「Amploud」、kj氏の持つ叙情性がいかんなく発揮された名曲「静かな日々の階段を」といったシングル曲も収録されている。
Dragon Ash「静かな日々の階段を」
繊細なじっくり聴ける曲もあり、MADバリのデジタルロックも揃えた聴き応えのあるアルバムです。
以前「Dragon Ashはシングルの選曲が下手」みたいな事をkj氏自身で言ってたと思いますが、このアルバムに収録されている名曲
「百合の咲く場所で」
は個人的にまさにそれだと思う(笑)
(それがいい部分でもあると思いますが)
Dragon Ash「百合の咲く場所で (Live) -2014.5.31 NIPPON BUDOKAN-」
静と動を過激なまでに表現した楽曲。
Dragon Ashでもトップレベルの人気の楽曲であり、「Fantasista」と並ぶ現在もライブで演奏され大盛り上がり必至な鉄板キラーチューンです。
zeebra氏のDis。ヒップホップから離れ新たな音楽性の模索
その後もLife Goes On、Fantasistaといったヒット曲を立て続けにリリースしていたDragon Ashだがその歩みを止めてしまう出来事が起こる。
ヒップホップグループ「キングギドラ」の楽曲にてzeebra氏からkj氏に向けてDisを受けてしまう。
そこからしばらくは目に見えた音楽活動はなくなり、音楽的にもヒップホップとは距離を置く事となる。
言ってしまえばヒップホップカルチャーにはBEEFといったお互いをディスり合いシーンを盛り上げるある種、文化の様なものがあるのだが、kj氏はこのディスに対してアンサーする事はなかった。
この件についてkj氏はインタビューで
「人を傷つける曲を作ることができない」
と語っており、そもそもkj氏は結成当初から一貫して変わらず、誰かを傷つけるのではなく、時に共闘し、前進する音楽を作り続けているので当然といえば当然ではある。
ロックの人間ですし。
苦悩の末生まれたアルバム「Harvest」。様々なジャンルを取り込み新境地へ。
長い沈黙を破りリリースされた5thアルバム「Harvest」。
このアルバムはこれまでと違いかなり異彩を放つアルバムとなっている。
kj氏いわく
「自分が好きな音楽を、Dragon Ashにぶつけて形にした」
というこの作品は、これまでのヒップホップ色はなくなり、エレクトロニカ、テクノやあらゆるジャンルを取り込みジャンルの特定も難しいような作品。
代表曲である「Fantasista」が収録されているものの、これまでの大衆向けなキャッチーさはなく、芸術性が強い楽曲が多く、歌詞の表現としてもこれまでの直接的な表現はなく抽象的な表現に変わった。
リリックを見ても、これまでのkj氏の痛みや苦悩が伺え、それでも新境地に歩みだそうという心境が伺えます。
Dragon Ashの音楽史で見たらこのアルバム前と後で分けてもいい程大きく音楽性が変わったといえるほど、分岐点的なアルバムではないかなと個人的には思っています。
ドラム桜井誠氏を筆頭にDragon Ashのリズム隊はえげつないなーと思うのですが、際立ってリズムに対して異常なこだわりを感じるようになったのはこの頃あたりかと思います。
「Fantasista」なんて大ヒット曲ではありますけど、ドラムとかえげつないですからね(笑)
Dragon Ash「Fantasista」
中でも新境地としてあげたい好きな曲は
morrow
Dragon Ash「morrow」
心地よいリズムに、静けさと壮大さを感じる曲で
過去と決別し新たな地に向かおうとする歌詞。
今までのDragon Ashにはなかったミクスチャーサウンドである。
そして、このアルバムから新ギタリストとしてHIROKI氏が加入し演奏はより強固なものに。
ダンサーにDRI-V氏、ATSUSHI氏を迎え、ライブパフォーマンスの幅を広げる事になる。
大きく舵を切りラテンを取り入れ新境地へ
その後6枚目のアルバム「Río de Emoción」から8枚目のアルバム「FREEDOM」までラテンを強く取り入れた時期になる。
6thアルバム「Río de Emoción」の「Los Lobos」を初めて聞いた時
新生Dragon Ashが始まった!
という高揚感を感じました。
Dragon Ash「Los Lobos」
ラップはもうあまりやらないのかな?と「Río de Emoción」を聴いていたら、バチバチにかっこいいラップとドラムンベースを取り入れどこか哀愁感を感じる
Crush the windowがあったり。
Dragon Ash「crush the window」
この曲はドラゴンアッシュの中でも抜群にかっこいい曲だと思う。
恐らくハードコアやヒップホップ時代では作れなかったであろう、メロディ主体の、人との繋がりについてストレートに歌った
「繋がりSUNSET」
Dragon Ash「繋がりSUNSET」
サビまで焦らして、めっちゃいいサビ来た!
と思ったらサビ一回で終わってしまうという愛おしい曲構成の
「few lights till night」←褒めてます
Dragon Ash「few lights till night」
ラテンやサンバの要素を取り入れたからか、この時期はメロディが光る聴かせる曲が多い印象。
最初はロックにラテンを取り入れる事に抵抗は感じなくはありませんでしたが、ライブで聴いて凄く感じましたが、ロックとラテンは相性がいいと思いました。
ハードコアやヒップホップなどにはない高揚感、あのリズムを生音で聴くと体が自然に動き出す感覚がありました。
原点回帰した上での新しいミクスチャーロックアルバム「MIXTURE」
9枚目のアルバム「MIXTURE」をリリース。
Kj氏が
「ラウドロックに回帰して攻める」
と言った通り、ラテン要素は薄れヘビィでハードコアな曲が多いロック色が強い音楽に変化した。
原点回帰でもあるが、音は洗練されこれまでの経験を昇華したアルバムとなっている。
中でも長年の戦友である山嵐をフューチャーリングした
「ROCK BAND FEAT.SATOSHI,KO-JI ZERO THREE」
は、これまでのkj氏のバンドマンの歴史をたどりつつ、バンドマン達の光や影を歌ったある種、集大成的なロック好きには心打たれる作品となっている。
Dragon Ash「ROCK BAND feat. SATOSHI, KO-JI ZERO THREE」
「未来は僕らの手の中」とリリックの中にTHE BLUE HEARTSの一節を入れる辺りも憎い。
馬場育三氏の死去
引用:Dragon Ash Official Website
2012年4月21日結成当初から在席していたベーシスト馬場育三氏(IKUZONE)が急性心不全の為死去。
46歳という若さだった。
ファンである自分もショッキングな出来事でしたが、メンバーや関係者にはショックが計り知れない出来事だったと思います。
kj氏のコメントを一部抜粋
「俺とサクと馬場さん。3人で初めて音出した16年前から今まで、アナタはずっと俺達のベースヒーローでした。
年上のエキセントリックなバンドマンは俺達にギターアンプのいじり方、ドラムスティックの回し方、バンダナの巻き方、女の子の口説き方、その全てを教えてくれました。
今思えば俺達が出会った最初のロックンローラーだったんだね。」
kj氏がいかに公私ともに大事な存在だったかが伝わります。
「Buzz Songs」を初めて聞いた時ベースに痺れました。
馬場氏の唯一無二のベースライン、ユニークなパフォーマンス、ロックンローラーなルックス、素晴らしいベーシストだと思います。
Dragon Ashは1年程、表立った活動はなくなります。
苦難を乗り越えエモーショナルな傑作アルバム「THE FACES」リリース。
10枚目のフルアルバム「THE FACES」
悲しみや苦悩と向き合い生み出されたアルバムは、今までにないほど感情的で、ストレートに心を打つ曲が多い。
エネルギッシュなオルタナティブロック全快の名アルバム。
メンバーの死と向き合い、起死回生の再起を歌った
Here I Am
はPVからもその思いは汲み取れます。
Dragon Ash「Here I Am」
「Walk with Dreams」は
誰にでもあるなんてことない日常や、葛藤を描き
どこか「静かな日々に階段を」を感じさせるリリック。
そこには年齢を重ねた等身大のkj氏が、優しく背中を押してくれる素晴らしい曲となっています。
いいバンドになったなぁと感じてしまいます。
Dragon Ash「Walk with Dreams」
総じて聴きやすく素晴らしいアルバムで、個人的には近年のDragon Ashを聴いてみたい方はこのアルバムから入るのが個人的にオススメです。
この頃からサポートベーシストとして、RIZEで知られるKenKen氏が加入。
降谷建志名義でのソロ活動を開始。
その後kj氏は2015年より、降谷建志名義でソロ活動を開始。
降谷建志/「ワンダーラスト」ミュージック・ビデオ オリジナルVer.
降谷建志 「ワンダーラスト」
Dragon Ashで「取りこぼした」音楽を表現する為、バンドとは違ったアプローチで楽曲制作をしている。
全楽器を自分一人で担当し曲を作るなど、音楽家としての表現が広まった。
大胆にシンセサイザーを取り入れたミクスチャーロックが光る11thアルバム「MAJESTIC」
2017年に威風堂々と題したアルバム「MAJESTIC」リリース。
音楽の変化は止まることなく、シンセサイザーを取り入れた楽曲が多く、ハードな曲はよりハードに、メロウな曲はよりメロウに、洗練された一枚だと思います。
Dragon Ash「Mix it Up」
ライブ映えしそうな曲が多く、「Mix it Up」「Headbang」「jump」など大盛り間違いなしのラウドなアッパーチューンが揃っている反面
Dragon Ash「光りの街」
東日本大震災を受けて制作された「光りの街」、「ODE TO JOY」といったメロディアスな楽曲も収録されており、力強くもあり、繊細さも兼ね備えた完成度が高い一枚となっている。
このアルバムを聴いて感じるのは今だDragon Ashは変化し続けていて、攻めの姿勢を全く崩していないという事。
この長いバンドの歴史でそれは本当に凄いことだなと感心してしまいます。
サポートベーシストKenKen氏の逮捕、ダンサーの脱退。Dragon Ashは新しいステージへ
2019年7月19日にサポートベーシストだったkenken氏が大麻取締法違反容疑で逮捕。
うーん、、残念な出来事でしたね。
擁護というわけではないですが、kenken氏自体、テクニックはもちろん現在のロック界では貴重なカリスマ性のあるベーシストだと個人的に思ってましたし、生で見た「The Live」はカッコよかった。
反省して同じ過ちを犯さないように頑張っていただきたいですね。
その後のイベントなどはThe BONEZやPay money To my Painで活動するT$UYO$HI氏をサポートベーシストに迎え現在活動している。
Dragon Ash / Fly Over feat. T$UYO$HI
そして2020年7月18日。2003年から約20年間メンバーとして活動していたダンサーのATSUSHI氏とDRI-V氏が脱退を発表。
ロックバンドにダンサーを入れるという新しいスタイルを打ち出したが、これを気に5人体制のバンドスタイルで新たなDragon Ashとして活動していく事になる。
終わりに
書いた、、長かった(笑)
というわけで
Dragon Ashの歴史とkjという人間を自分なりの解釈で思いっきり書いた記事でした。
自分のブログの中でもダントツに長文な記事になってしまいました。。(笑)
というのもやはり自分にとってDragon Ashの音楽はそれだけ人生で助けられたし、大好きなロックバンドであり、kj 氏を尊敬しているからこそです。
かなり波乱続きのバンドではありますが、その度に変化し、止まることなく進む非常に強い日本が誇るミクスチャーロックバンドだと思います。
そしてkj氏は長年インタビューの記事を見ても、音楽、ロックに対してひたすらストイックで、ベテランと言われてもおかしくないであろう今も、ハングリー精神剥き出しで音楽と真摯に向き合って楽曲をリリースしている。
ここまで音楽性が変化するバンドも珍しいと思うが、今だコンスタントに生み出される楽曲はどれもクオリティが非常に高い。
だから音楽家として信用できるし、kj氏は自分の中の貴重なロックスターの一人であります。
昨今も波乱が多いDragon Ashですが、これまでの歴史を見てもわかる通り彼らは止まることなく進み、また変化していくのでしょう。
この記事を読んで少しでもDragon Ashに興味を持ってくれる人がいてくれたら嬉しい限りでございます。
15周年企画ベストアルバム
www.ootsususunu.work
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